英国日記  松本 紳 Warwick

はじめに

Webのホームページにかたいものばかりでなく、何か載せようと常づね思って いたのだが、なかなか思いつくこともなく日々を費やしてしまった。そんな とき、イギリスにいたときの記憶が風化しだし、思い出を備忘録として残し ておきたいと思い始めた。文才もないので、随筆のようにはとうていかけな いが、思い出すままできるだけ忠実に淡々と書き綴ることならどうにかでき そうな気がする。
本当は、Webなどに載せないで、個人の日記帳にでも書けばいいのであるが、 たぶんそれだと張り合いがでないので、3日坊主になることは目に見えてい る。そこであえて載せることにした。ただし、寝る前のほんの少しの時間と、 休みの日にしか書く暇がないので、進みは微々たるものに違いない。
Nottinghum

1 出発前

イギリスに行くことになったのは、いまから8年前の1988年10月であ る。イギリスの中央部にあるウォーリック(Warwick)大学に2年間、向こう の研究員として行くことになった。2年間だと普通の観光とは違うので、労 働許可書が必要である。かなり早い時期にウォーリック大学から労働許可書 (Work Permission)が送られてきた。これで、ぼく自身の入国は問題ない。 さて、あとは家内と1歳の娘の入国許可が必要である。そのために東京のイ ギリス大使館に行った。そこでは、英国滞在中僕が、家族の面倒を見るとい う保証を一筆書かされた。
それからが、また大変である。なにしろ初めての海外渡航であり、また2年 間も家を空けるわけである。当時は公務員宿舎に住んでいたのだが、住まな いにもかかわらず家賃を払うのもばかばかしいので、いったん出ようかとも 思った。しかし、その間倉庫に荷物を預けても同じだし、帰国してすぐに 家探し、そして引っ越しなどはできそうもない。そんなわけでそのままで行 くことにした。その当時、ソ連のチェルノブイリの放射能漏れの事故からあ まり立っていなかったので、ヨーロッパの小麦が汚染されているというニュ ースが日本でも流れた。そこで、我々は、イギリスに送る荷物に小麦粉を入 れておいた。これが後になってひどい目に会うことになる。そのほかに送っ た荷物が何であったかは、記憶の底に追いやられあまり思い出せない。多分、 当面の衣料だとか、本などのたぐいであったと思う。それと、研究に使って いたプログラムを入れた磁気テープであったと思われる。いよいよ出発の日、 和光先生を初め、ゼミの学生の人などが成田空港まで見送りに来てくれ、わ れら3人は、無事日本を飛び立った。娘(瑛美)は、まだ1才になったばか りだったので、ベビーかごに入れて機内のスチュワーデスの近くの席があてが われた。隣の席はフランス人の婦人であったが、小さな子供づれだと何かと 親切にしてくれる。そういう点は、ヨーロッパのどこに行っても同じである。 誰もが、話しかけてくるのである。
途中、アンカレッジで給油のために空港内に降りる。アンカレッジの空港に は、すし屋やラーメン屋、お土産ものの店がずらっとならんでいる。ここで は日本円も通用するが、ぼくは、日本からもって行ったトラベラーズチェッ クを使って家内にニナリッチのネックレスを買った。ポンドだてのチェック であったがそれも使えた。しかし当然ながらお釣は米ドルである。この米ド ルは帰国までの2年間一度も使う機会がなかった。 さて、再び、機上の 人となって次は、いよいよイギリスである。これは次の節でお話しすること にしよう。
(23/10/96)
Tewkesbury
University of Warwick
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