英国日記16
Tenby
Warwick大学の研究室には、一台のPCがあった。もっともPCとして利用す
るというよりは、端末として利用する場合の方が多い。キーボードは分
厚く、その当時でも日本の5年くらい前の型のような印象である。メー
カーも放送局のBBC 製である。日本でいえば、NHKがパソコンを作って売
っているようなものである。機器の型は古かったが、ネットワークに関し
ては、日本よりも進んでいた。すでにTCP/IP接続で、インターネットに
接続されていた。当時はWWWなどはまだなかったから、主として、文字情
報や数値が表示されればよかったわけであるので、古い型の端末でもほ
ぼ用はすんだ。今なら、外国に行く場合、ノート型パソコンなどを持っ
ていく人も多いが、当時は、ラップトップ型といっても今のワープロ以
上の大きさがあったので、僕は何も持って行かなかった。ワープロは
持ってくればよかったと思ったこともあったが、無くても特に不自由は
しない。
大学での研究は、自分で、新しい公式を導くという段階になり、毎日数
式との格闘である。まだプログラミングまでにはいたってなかったので、
研究室にある PCを利用する必要は無かった。論文や文献を調べるため
に図書館にも良く行った。大学の図書館へは、物理学科の建物の2階か
ら屋根付の渡廊下のようなところで、隣の工学部の建物につながってい
て、そこから、図書館に行くことができる。図書館には、外国の新聞な
どが揃っていたが、日本のは無かった。図書館の建物は、5階建てで、
各階が専門分野毎になっている。1階には、7、8台のコピー機が設置
されているが、学生は、コピーを利用するための紙製のプリペイドカー
ドを買って利用するようである。職員の場合は、各学科でサインをする
とそのカードがもらえるようになっている。コピー機の前にはいつも長
い列ができていた。
あるとき、大学から昼を食べるために家に帰ると、イギリス人のおばあ
さんが2人来ていた。また家内がどこかで知り合って連れて来たのかと
最初は思ったが、話を聞いて見るとそのおばあさんのお母さんが、日本
人だということである。ご本人たちは、もう英語しか話せないが、とて
も日本がなつかしいとのことである。なぜわれわれのことがわかったか
といえば、教会で隣に日本人が引っ越してきたとスミス家の人が話した
のがきっかけだったようである。その老婦人姉妹は、日本人と聞いてわ
ざわざ会いに来てくれたのである。イギリスに滞在中、家内と娘はこの
老婦人に色々とお世話になった。
さて、われわれがクライフィールドに住むようになって、1ヵ月位たっ
たころ新たに日本人の家族が来た。労働省に勤めているSさん一家であ
る。実は、この一週間あとに日立に勤めているKさん一家もクライフィ
ールドに来た。初めは、われわれ一家族しか日本人がいなかったのに、
一気に3家族もの日本人が住むようになったわけである。さっそく我家
では歓迎会を開いた。日本では、お隣同士でもなかなか家族ぐるみのつ
きあいは少ないが、ここイギリスにいる場合は、数少ない日本人同士、
なにかと情報交換や、互いに助け合いながらの生活ということで、家族
ぐるみのつきあいが始まることが多い。ちょうど2家族共小さな子供が
一人ということで、立場も似通っていた。また、日立のKさんは、僕と
同じ年で、しかも共通の知人がいるということもあとでわかった。やは
り世の中とは狭いものである。
Tenby