英国日記21
Brighton

テクニカルカレッジ

 イギリスの生活にもかなり慣れてきたので、私と家内は夜、英語の学 校に通うことにした。といっても娘が小さいので、同時に行くわけには いかないので、月曜日は僕が行き、木曜日は家内が行くという形である。 学校は、コベントリーの町にあるテクニカルカレッジという場所で、い くつかの英語の教室もやっている。
僕のクラスには、スペイン、ギリシャ、ポルトガル、フランス、中国な どから来た人達がいた。色々な国の人達とすぐに仲良くなれる。みんな 最初は片言の英語だが、ヨーロッパから来た人達は発音は別にすれば上 達は早い。そもそもヨーロッパ系の言語は英語と兄弟みたいなものだか ら日本人が方言を習うようなものなのかもしれない。寒い冬の夜、1週 間に一度とはいえ、行きたくないと思ったこともあるが、1月から7月 までかよった。家内のクラスには、日本人の人もいたようで、何度かク ライフィールドの家にも遊びに来たことがある。
彼/彼女らの多くは、英語を勉強するために語学留学という形でイギリ スに来て、無条件で入学できるテクニカルカレッジのこのような英語学 校に通っているパターンが多い。また、夏の時期になるとWorwick大学 に貸切バスで乗り入れて、短期の語学研修を受けるのも日本人がほとん どである。しかも若い女性が多く、着ているものも派手だからすぐに日 本人とわかる。あるとき、イギリス人に日本人と他の東洋人を見ただけ で区別できるかと聞いて見たら、着ているものでわかると言われた。僕 なんかは、いつも地味な格好をしていたから、よく日本以外の東洋人と 間違われた。でも外国に旅行に行くときは本当はそのほうがいいのである。 イギリスではあまりないが、国によっては日本人とわかるとたかられた り、スリにあったりすることが多いようで、実際に被害にあった人から も何度か聞いた。
ところで、我が英語クラスのジェフという先生は、どこか別の国で英語 を教えたいとよくいっていた。日本に帰ったら、ジェフの働き口が見つ かれば誘ってみようかと思っていたが、結局それっきりになってしまった。
一方、家内と娘は、昼間はマザー・アンド・トドラーグループという幼 稚園前の子供たちのためのスクールみたいなところにも参加している。 瑛美はようやくよちよち歩きができるようになり、他の子供たちと一緒 に遊び回っているようである。
ところで、大学ではLanguage Centre以外の授業は聞いたことはなく、自 由に研究する時間が与えられていた、ただ1ヵ月に一度位の頻度で、 Lunch time seminar というのがある。昼の時間に研究の状況を説明す るわけである。1月は、もうすぐ帰国ということで、同室のSmithが話 すことになっていた。そこで、ぼくも話しを聞くことにした。活発な意 見の交換が行われなかなか有意義なものであった。
大学では、バングラディッシュから学位をとるために留学していたサッ ターという院生が僕と同じ様な研究をしていたので、よく話しをした。 彼はとっても紳士的で、まだ若かったがすでに結婚もしていて奥さんも 連れてきていた。彼にも大学のことをいろいろと教えてもらった。
さて、次の土曜日、我家と同じクライフィールドの日本人のSさん一家と ウエッジウッドの工場に見学に行った。ウエッジウッドの工場はストー クス・オン・トレントという町にある。コベントリーからバーミンガム に行き、そこからM6という高速道路にのって、1時間半くらいでいける。 イギリスの高速道路はほとんど無料で、(一部、橋とかトンネルで料金 をとるところがある)どこに行くのにもお金がかからない。日本だと、 ちょっと高速を使って遠出しようとすると、かなりの料金はとられるし、 渋滞に巻き込まれてしまうので、ふんだりけったりであるが、イギリス では、ほとんど渋滞もないし快適である。ウエッジウッドの工場は 見学コースができていて、それに沿って見学するが、そのほとんどが手 作業である。といっても模様などは、シールのようなものを貼るといっ た感じで、日本の筆で書き入れるというのとは違っていた。見学の後 で売店があり、商品を売っているが、決して安くはない。むしろ観光 客目当てで高いともいえる。どちらかといえば、町の陶器屋のセール で買ったほうがいいかもしれない。もちろん我々もここでは結局買わ なかった。ウエッジウッドのその売店の裏には、セコンドハン ドのバラックが2、3棟建っていて、こちらは随分と安いものもあったが、 魅力あるものは少なかった。
      Wales
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