英国日記7
Univ.WARWICK

ウォーリック大学

ウォーリック大学は、コベントリーという町とケニルワースという町の 真ん中くらいに位置する比較的新しい大学である。イギリスでは、ケン ブリッジやオックスフォードのように古い歴史のある大学(これはカレ ッジの集合体である)で建物からして歴史的なものとこのウォーリック 大学の様に近代的な建物の大学がある。もちろん日本でもそれは同じな のだが、その差があまりにも大きい。
さて、コベントリーという地名なのになぜウォーリック(Warwick)大学 かといえば、ケニルワースの先にウォーリックというところがある。そ こには、すばらしいお城が今でも建っている由緒ある町なので、そこか ら名前をとってきたのだと思う。あるときウォーリックの町に行ったと き、ウォーリック大学はどこかと聞かれてかなり遠くなので、説明に苦 労した覚えがある。
大学は、前にも述べたように筑波大学位の広さがあり、その中には、グ ランド、テニスコート、学生宿舎、ホール、映画館、室内プール、公園 と池、遊歩道、美術館、本屋、雑貨屋、コンピニ、郵便局、銀行、食堂、 国際会館(留学生会館)、ヘルスセンターなどが揃っていて、その名の とおり小さな町を形成している。また、各学科の建物もそれぞれ個性的 で物理学科は5階建ての建物であったが、社会学科は、3階建ての洒落 た建物であった。大学は付近の住民にもオープンで公園や池などにも付 近の住民が犬を連れて散歩していたり、プールも利用できるようになっ ている。我々も休みの日などは、公園の池にいってダックスにパンの切 れ端などをあげたりした。また家内と娘は平日の昼間などにプールに泳 ぎに行ったりしていたようである。
さて、僕があてがわれた部屋は前にも述べたように物理学科の5階の一 室で、5階は主に理論物理屋の部屋が集中していた。僕の同室の相棒は 、オーストラリアから来たフィルという人で、半導体理論を研究してい た。イギリスについてしばらくの間は、あちらの生活に慣れるのに大変 であったが、研究も始めなければならなかった。テーマはある程度日本 にいるときからJulieと相談していたので決まっていたが、当初は、文献 調査と論文を片っ端らから読むという生活になった。そのようなときに 日本からもっと本をもってきておけばよかったと後悔したものである。 というのも本は、船便で送ってあったが、まだ届いておらず、仮に届い たとしても5、6冊程度である。一日中英語の文献とにらめっこしている と、無性に日本語の文献が読みたくなる。あとで、日本の実家から文芸 春秋などの雑誌や新聞を送ってもらったが、日本にいるときよりも隅か ら隅までじっくり読んだものである。
ところで、イギリスで生活を始めてしばらくたってわかったことである が、イギリス人はお昼を午後1時から2時の間にとるようである。僕は つくばにいるときから、昼は家に帰って食べていたので、イギリスでも 12時になると家に帰って昼食をとっていた。そして午後1時に大学に 戻るのだが、その時間に限ってイギリス人がいないのである。でもよく 考えるとイギリス人は、11時と3時になると ティータイムといって休憩時間があり、みんな5階にある集会所みたい なところに集まって会話を楽しんでいる。それが11時から12時近くまで 行われるので、すぐにお昼という感じではないのかもしれない。よって 、イギリスでは、午前中が仕事をはかどらすまとまった時間である。と いっても実質的には、9:00から11:00の2時間である。あとは、12:00 から13:00の1時間と14:00から15:00までの1時間、そして16:00から 17:00までの1時間とかなり細切れである。もちろんすべての人がそう ではないのだろうが、少なくともあとで同室になる大学院生などは、こ の生活パターンを忠実に守っていた。僕などは、相変わらず12:00に昼 食をとっていたものだから、10:30ころにお茶(コーヒー)を集会所か ら運んできて研究室でお茶を飲みながら論文を読んでいた。そういえば 、イギリスの研究室には流しはついていなかった。手を洗うためにはト イレにいかなければならなかったと思う。実験系の研究室のことはよく 知らないが、少なくとも理論物理の5階の研究室は大方夕方5時過ぎには みんないなくなる。そんなわけで僕も5時になると帰宅するという日本で 考えれば夢のような生活を送ることになった。イギリスでは、冬は3時 には真っ暗になってしまうが、逆に夏だと5時でも昼間のように明るい (というよりも夜9時過ぎにやっと暗くなり始める)。なんとなく明る いうちに帰宅するのが気恥ずかしく思ったものある。
Univ.Warwick

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